火曜日, 9月 06, 2011

雨ニモマケズ、反省セズ

拡散する精神/萎縮する表現(5)


「マスコミ市民」511号(2011年8月)



 三月一一日の東日本大震災・津波・原発事故以来、「頑張れニッポン!」「日本は一つだ」のナショナリズム合唱が続き、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」が再びもてはやされている。テレビ・新聞はもとより、被災者支援に携わるNGOも、ミュージシャンも「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」の大合唱である。賢治の本が飛ぶように売れている。インターネットで検索してみると、被災者を励まし元気づけるための合言葉として無条件に持ち出されている。一部に、「雨ニモマケズ」が、戦争意識高揚のために権力によって利用された歴史があると指摘しているものもあるが、あくまでも「利用された」にすぎないのであって、賢治が素晴らしい作家であることに変わりはないし、「雨ニモマケズ」の精神が被災者支援にふさわしいと判断しているようである。


 しかし、はたして賢治は「利用された」のだろうか。なるほど、求道者イメージの賢治の「雨ニモマケズ」の精神は、戦時下の「滅私奉公」のスローガンに合致し、現に教科書にも掲載されたが、それは結果として「利用された」のだろうか。


 児童文学の西田良子によると、「雨ニモマケズが書かれたのは、一九三一年十一月三日、即ち、賢治三十六歳の明治節の日である。明治生まれの賢治にとっては、おそらく特別の感慨を抱く日だったと思われる」(『宮澤賢治論』桜楓社、一九八一年)。


 西田の文章は奇妙なことに次のように続く。


 「彼が自分の死期の近づきをはっきり意識しはじめた時期に書いたものであるということと、彼が大乗仏教の信者で、自分自身の幸せよりも、<あらゆる人の幸せ>を至高の目的としていたということとを考えながら読むことが、『雨ニモマケズ』を理解する上では非常に重要なポイントになると思う。」(同前)


 明治生まれの天皇主義者であった賢治が<あらゆる人の幸せ>を目的としたというのは、論理的に理解できない。賢治も時代の中を生きていたのだから、天皇主義者であったことをもって批判するべき理由にはならない。しかし、天皇主義者の思想を<あらゆる人の幸せ>を目的としたと粉飾するのは疑問である。


 一九三一年十一月三日の賢治は、一九一〇年の韓国併合、一九二三年の関東大震災朝鮮人虐殺、一九三一年九月一八日の「満州事変」をどのように見ていたのだろうか。


 歴史家の琴秉洞によると、賢治は、田中智学が創立した国柱会という宗教団体の機関紙『天業民報』の熱心な読者であり、寄稿家でもあった。賢治は、一九二〇年一二月二日の手紙に、「今度私は、国柱会信行部に入会致しました。・・・今や私は田中智学先生の御命令の中に丈あるのです。・・・田中先生に絶対に服従致します」と書き、関東大震災のさなかにも国柱会の文書を掲示板に貼ったという。田中智学の思想は「日蓮主義と天皇至上主義を結合させた狂信的国家主義」であり、その文章では「国家を滅ぼさうとする凶悪の徒」「不定鮮人」に対して激しい敵意をむき出しにしていた。『天業民報』は、警視庁が朝鮮人暴動はなかったと発表した後も、執拗に朝鮮人暴動と書きたて、朝鮮人を糾弾し続けた。朝鮮人差別の先頭を邁進する田中智学に「絶対服従」を誓ったのが賢治である。


 琴秉洞は次のようにまとめている。


 「賢治自身が、この時朝鮮人問題に言及した資料は未見としても、しかし、彼が絶対服従を誓った田中智学の朝鮮人排撃の文と、連日の如くいわれのない朝鮮人攻撃を続けている『天業民報』を辻々に張り回るという行為によって、美事に、朝鮮人攻撃と民族排外主義の旗ふりをやっていたといえる」(琴秉洞「大震時の朝鮮人虐殺に対する日本側と朝鮮人の反応」『震災・戒厳令・虐殺』三一書房、二〇〇八年)。


だからと言って賢治の思想を否定したり、切り捨てたりする必要はない。しかし、自ら積極的に民族差別に加担した賢治は「利用された」のではなく「利用した」のである。このことを考えなければ、差別と排外主義への転落を繰り返すことになりかねない。


 雨ニモマケズ 反省セズ 


 風ニモマケズ 反省セズ


 東ニ朝鮮人アレバ 行ッテ不逞鮮人トナジリ・・・

10.2「東アジア歴史・人権・平和宣言」発表大会


1 開催日時:10月2日(日) 午後1時~6時半 (開場:午後030分)



2 開催場所:明治大学リバティ・タワー 1001教室



3 主催:「東アジア歴史・人権・平和宣言」実行委員会


     「現代史研究会」



4 プログラム(進行表)  


  (1)開会                                   1300  


サルプリ-植民地主義の犠牲者の恨を解くための舞 13001310


  舞を踊る方-未定



  (2)「東アジア歴史・人権・平和宣言」運動-その趣旨と経過報告 13101320


前田朗(実行委員会事務局長)



  (3)連帯アピール(メッセージ)  候補者(敬称略)     13201340 


       宋 富子さん(高麗博物館名誉館長)


       生方 卓さん(明治大学教員・現代史研究会代表)


       崔 善愛さん(ピアニスト)



  (4)シンポジウム


『植民地主義を超えて-平和・連帯の東アジアをつくるために』1340


      シンポジウムの趣旨について-徐勝(実行委員会代表)  13401345


      パネリスト:徐勝さん(立命館大学教員)        13451400            『時遅れの正義を実現するために-東アジアにおける脱植民地化』


阿部浩己さん(神奈川大学教授)     14001415


             『国際法の暴力を超えて-植民地主義を問い直す』 


            金東椿さん(韓国・聖公会大学教員)   14151445


             『韓国における過去事清算と日本に問われる課題』


            岡真理さん(京都大学教員)       14451500


             『日本とイスラエル-植民地主義の歴史的責任をめぐる否認の同盟』


休憩(15001515


      討論・補足発言                   15151600



  (5)被害当事者等の証言                  16001700 


       韓国:李玉仙さん(元日本軍「慰安婦」)、ユ・ヨンジェさん(「平和と統一を愛する会」調査チーム長)


       在日:朝鮮高校生徒とOB(詩の朗読)


台湾:原住民 


       沖縄:我如古朋美さん(恵泉女学園大学大学院)


       アイヌ: 


休憩(17001715



  (6)コンサート                      17151800 


       沖縄:カクマクシャカ (「民のドミノ」等)


       日本:井上ともやす (「平和の歌がきこえる」等)


       


  (7)「東アジア歴史・人権・平和宣言」採択        18001820


      


  (8)閉会の挨拶(韓国実行委員会)             18201830